こんなプロセスを歩んでいる時に、成瀬特殊木材(株)の商談が本格化しました。秋口に入って次年度に向かって「予算」取りに入った訳です。担当のTさんは、IBMのよさを理解されているのですが、「でもね!一端日立に決めたのは私なのですよ。その私が、また、IBMに戻すという稟議を書くのですか?」と言う本音が返ってきました。信条的には、同情できるのですが、ここであきらめると「成瀬特殊木材」さんとの接点が永久になくなり、コンピュータ・システムの発展に貢献できないという思いで頑張ることにしました。
私が、日立に勝つ唯一のポイントは「この5年間、何もシステムが進んでいない」という点でありました。もちろん、日立さんの営業マンも関係のソフト会社も立派な活動されているのですが、例えば、バーコード化という点でも導入を進めていれば、その功績を認めるのですが、以前に私たちが苦労して作った「販売管理システム」を置き換えただけに留まっている点では、我々が残した「JAD」の資料も参考にされず、システムの発展への「提案力」に疑問を持った訳であります。
しかし、ある日、電話をかけると「栩野さん、ご免、日立に決めたよ!」という返事でした。これは「大変!」という事態です。私は、今から「すぐに行く!」という事で渋るT氏を無理矢理説得して飛んで行きました。そこで言われたのは「栩野さんの熱意はよく分かるが、OISさんの他の人が見えない」という事でした。これは、後で判かったのですが、日立側のソフトを開発した会社が、IBMのソフトも開発していて、しかも当社との取引もあって事情を通報されていたのです。
ともかく、判を押したが、日立に注文書がわたっていないことを確認して、「時間をくれ」と頼みました。そして、会社へ帰って実情を話して、とりあえずM部長と再度訪問して、こちらの体制などを説明することになりました。ところが、このM部長はピントの外れた話ばかりで、お客様の心を動かすまでに行かないのです。そこで、提案書の練り直しをするということで、時間を頂くことになりました。
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