すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第74話 「改善」@・・1頁のレポートで「啄同時」

経営企画室室長を拝命した時は、副課長(平成元年4月)でした。トヨタの「物流改善プロジェクト」やIBMの「SISプロジェクト」そしてモニターカンパニーの「コンサルティング」などのリーダーを務めました。ベースには「全社オンラインシステム」があり、「新車整備システム」を構築して、誰にでも公平なシステムにより持続力のある物流改善を実施したのがきっかけで「改善」はドンドン営業所に向かって行きました。
この「改善」がうまく展開できた理由には、昭和58年にIBMの灰本さんに教わった「A4で1ページの報告書」が大きな要素をもっていました。経営企画室は社内的にはMS(Management Strategy)と記号化されていましたので、経営企画室がスタートした時から「MS Weekly Report」を秘書室から社長に提出していました。週に1度、それも「ワラ半紙」にプリントしたレポートだったので、色が黄土色という目立つ色で提出する、他のレポートよりも見つけやすい工夫を行いました。
このレポートは、本当に威力を発揮しました。先の「物流改善」も、このレポートによって報告し、社長がトヨタと交渉してくれました。ともかく、現場で起こっている「エピソード」もドンドン報告したので、私が会社に望む「現場にして欲しいこと」をドンドン実施して頂けました。トヨタの鍔本さんは改善講話の中で「啄同時」という禅宗の言葉を教えて下さいましたが、文字通り、私の「」(シグナル)に対して、社長が「啄」(後押し)して頂きました。
こんな具合で、社長とのコミュニケーションがうまく行きましたので、半年後に「課長」に昇進、また、翌年の4月に「次長」とトントン拍子で昇格しました。給料も毎年8万円というビックリする昇給をして頂きました。ある日、新聞社のインタビューに応えて「私の自慢は社員のやる気」とおっしゃっていました。レポートを通じて「現場」の改善状況が伝わったのです。全社的な充実ぶりは、凄いものがあったと思います。

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