すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第53話 「営業所オンライン・システム」@・・新しい展開が突然始まった

昭和63年までの5年間は、社外の仕事で充実していましたが、やりたいような事・・オンラインの通信システム開発や生産管理システムなどの開発などを手がけ、新しいネタがなくなって来ました。こんな時に、平成元年、「経営企画室」の室長を拝命しました。これは、昭和63年に「全社オンライン・システム構築」を決めて頂いたことがきっかけだったと思っています。
自動車販売もバブルが始まって景気がよくなっていた時に、トヨタは「工・販合併」がありました。この新生トヨタのC80推進室が近畿ブロックの会議を召集しました。会議は、トヨタにとってさんざんなものでした。C80の初期にモデル店になった会社から、目茶口茶なシステムで1年間も毎日残業で、しかも、夜も満足に眠れなかったという暴露話がきっかけとなって、C80を導入していた会社が吾も吾もと暴露し始めたのです。私とM部長とで参加していたのですが、あっけにとられる事態が起こったのです。
それは、聞くに耐えられなくなった自工出身の役員が「それは、旧自販の役員が決めたシステム・・」と言い始めたのです。これには、全員がしらけました。誰もこれに追求もしませんでしたが、まずい雰囲気が充満しました。その時、M部長がいきなり当社はオンラインシステムでC80を自社開発すると宣言して、その場を回復させたのは痛快でした。
こんな訳で、オンライン・システム開発という大仕事に着手しました。我々は、IBMの9370という大型機を選択して、これをフロント・システムとして営業所オンライン業務を担当させ、バック・システムとしてIBMシステム36を位置づけ本社の基幹業務を行う、その間は、APPCの通信手順でリアルタイムに相互電送する方式でつなぐ事にしました。ここでも、日本生命での経験が活きました。

<<Back  |  >>Next