ともかく、社内的な体裁は整いましたので、「仕事」を確保する必要があります。第29話で他社の情報子会社の話をご紹介しましたが、この会社の営業力の限界は、直感的に判断できていたので、ここの話だけでは不十分と判断して、IBMの担当課長であった灰本さん(後にIBMの子会社の社長になられた)に相談に行きました。
灰本さんは、大変喜んで歓迎してくれました。色々アドバイスも頂きましたが、
「毎月、A4で1頁でも良いから社長にレポートしなさい」
と社長の信頼に応える秘策を教えてくださいました。これは、後になって凄い「威力」のあるアドバイスになりました。ともかく、その月(昭和58年4月)から実行しました。初売上は、例の情報子会社の仕事で10万円の売上でしたが、キチンと報告書を上げました。
また、IBMのユーザー会社で同じように他社のソフト開発をする企業が「UOS」(User Orienred Software)という団体を組織していて、関西はキョーラク鰍フ辻さんが世話役だという事も教えてくださいました。
また、前年のIBMのReview88号に載った私の記事を、「システム開発室」の会社案内代わりに使ったら良いということで、わざわざ、IBMの予算で「小冊子」を200冊ほど作ってくださいました。この「小冊子」は今も大切に保存していますが、本当に、有難いことでした。
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