すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第30話 「人生の転換期」A・・「別会社をつくって・・」

昭和57年の後半には、IBM特約店は我々が使っているオフコン、システム34を商品にラインナップされました。例の情報子会社もこの機種を取扱う訳ですが、自社の要員は大型機しか知らないので、我々の技術力に目をつけて何とアプローチしてくるのです。最初は、医事システムを受注したのだが、どこか有力なソフト会社はないかという程度でした。が、段段、エスカレートしてくるではないか。ついには「SEで来ないか」ということにまでなりました。
最初は、身体が弱い自分を今まで育ててくれた福井社長の恩義もあり、その上、直接、福井社長から「あそこから引き抜きにあっても乗るな!」と釘をさされていたのですが、何度も、アプローチされると心が動いてくるのですね。ついに、「技術者」として評価されたいという気持ちが勝つようになりました。
明けて昭和58年に、思い切って上司のM部長に相談したのです。私は、言い出す限りは中途半端で終わりたくないと思っていましたから、「辞めて情報処理子会社へ行くか、会社に残って、外部のソフト開発をしたい」と打ち明けました。M部長は、私の話しを聞きながら、よく理解してくれて社長に掛け合ってくれました。
日をおかずに、M部長を通して「外部の仕事するなら、会社は認めるから、別会社を作って大きくなれ、君ならできる!」という社長の温かい言葉を頂きました。当時、私は入社10年目、33才の時でした。

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