すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第21話 軽4輪に1トン積んで走らせるみたいやなぁ!

第18話で、IBMが同じ機種のユーザーを見学につれて来て「レスポンス」のクレームに対して、我々のシステムを見せて、この機種の性能が悪いのではなく、設計によるものだと説得に利用されましたが、このシステム開発の真のエネルギー源は、別のところにありました。それは、我々の同業者が先行してコンピュータ利用していて、自社の営業マンが売れない理由に「あそこは、コンピュータでXXしている」というのがたまらなく嫌だったのです。先行する大規模店と自社では、体力的に何倍もの相違がありましたが、その「体力」格差に「知力」格差が加わって相乗したら、大変なことになるという危機感がありました。本当は、この「危機感」を知って欲しかったのですが、そこまではお話しませんでした。
その「ライバル」たちが、このように、我々がIBMの小型オフコンが、先行他社の大型機並の仕事をするようになると色んな話をするようになりました。ある日、トヨタ系のライバル会社の担当者が「とっちゃんとこは、軽4に1トン積んで走るみたいやなぁ!」と言いました。これには、何と応えて良いのか判断に困りましたが、「どんなんやったら、いいんですか?」と聞き返すと、相手は「ここまで処理するのやったら大型機にせな!」と言いました。「なんやぁ!」と思いましたが、自分達の保身も含めての揶揄でもあったのです。内心「どこが悪いねん!、時間かかっても仕事はキッチリできとるわい!」と思いましたが、「お金がないもんで!」ととぼけておきました。
確かに、私たちより少し先輩だと「オフコン」がない時代に「大型機」(当時:汎用機とも言いましたが)しか無かった時代にスタートした方が多いものです。その方たちにとっては、この「オフコン」のパワーを脅威に感じたのかも知れません。Diskもスタートは27MBでしたが、すぐに、256MB(64MBx4台)に拡張し、CPUも64KBから256KBのMax構成になりました。しかし、購入価格や維持費は大型機と比較すると格段の差がありました。
それにしても、CPUが256KBですよね、よくこれでオンライン処理までこなせるものだと思いますね。よくMIPSという単位で性能を表示しましたが、ゼロ・コンマ?というもので、大型機のように何MIPSという速度をもっている訳がない・・なのに、レスポンスは自分達以上かも知れないし、大容量のバッチシステムもこなしているのだから、不思議だったのでしょうね。私もコンピュータの技術者の端くれですから「いつかは、大型機」という思いはありましたが、オフコンの容易性は捨てがたいものがありました。

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