昭和52年4月に「主任」昇格と同時にオンライン・システム開発スタッフ要員として2名の大卒と女子社員も2名が配属されたのですが、その開発プロジェクトが流れたものですから「仕事」がないという事態に陥りました。
私と2名の女子キーパンチャーで運営できるシステム32を、さらに合計4名追加されて仕事を振り分けることになったのですから想像もつかないことになりました。つまり、私には「管理」の仕事だけが残り、現実をこなす仕事は全部部下に振り分けたのです。カンタンにいうと、当時の専務が「とっちゃんはいいな。業務報告を書くだけで済むなんて、オレ以上だな」という状態だったのです。
こんな状態が3ヶ月も続くと「体調」に変化が出始めました。「軟便性の下痢」が続いて、次第に体力が無くなっていくのです。7月にゴルフに行ったのですが「熱中症」にかかってしまい、体力の衰退を自覚してしまったのです。このゴルフの後、3ケ日して発熱して会社を休むようになりました。
回復して出社しても「時計」とにらめっこという生活では、内心のイライラが蓄積してしまって、さらに悪化するという悪循環でした。
一番調子の悪い時は、「3日働いて、3日休む」という状態が続きました。経営会議で私のことが問題になったことがありました。これも先輩から聞いたのですが、労務担当役員から出た話だったのですが、社長は「栩野君と武(社長の甥)は、まじめに休んでいる。うそやと思たら、家へ行って来い。」と一喝されたとのことです。こんな社長に惚れない訳がない・・
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