すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第7話 「主任になる」

ともかく、システムの効果が「売上」に反映されるという直接的なものだったので、担当の私も勢いがついていました。昭和51年末に、IBMシステム34というオンライン・システムができるコンピュータを発表しました。もちろん、IBMとしては「破格のプライス」で発表しました。
当然のように、私はこの機種に惚れこんでしまいました。大体、当時はオンライン・システムなどは超大型機の専売特許で何億円もする「シロモノ」だったのです。ライバルのT大阪では、370の135という機種をいれて先行して開発していました。これは「うわさ」なのですが、「新車の振り当て画面でキーインして、食堂で夜食をとって帰っても、まだ、レスポンスがなかった」という位にタフな業務だったのです。
昭和52年になって、4月に「主任」に昇格して、大学卒の男子社員2名と女子社員2名の配属を頂きました。これは、IBMのデモを見て「スカンっ」と小気味よくレスポンスが返ってくるので、ますます、惚れこんで「新車在庫管理」をメインに「稟議」をあげた事による配慮でありました。
その後、IBMの大阪事業所で最終プレゼンテーション会議を持ちましたが、ここで、大どんでん返しがありました。IBMは、順調にプレゼンテーションを進めて、参加した幹部社員の方々が「ほーっ」と感心ばかりしていましたが、ある瞬間、経理のM課長が「この計画では、手形管理システムと書いてあるが、今まで、手形管理システムが実現したことがない。今回は、どうなのか?」と発言したことにより水を打ったようにシーンと静まってしまったのを覚えています。
この結果、ともかく、最終の結論が出せなくなり、IBMも手詰まりのまま、プレゼンテーションを終りました。このまま、時が流れたのです。これが「悲劇」に・・

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