すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第6話 「DMハガキ」

ともかく、「クソっ!」と思って大阪に帰ってきました。さっそく、私は、経理に過去の注文書を出してもらって、キーパンチの女子社員と一緒にデータづくりしました。「点検」とか「車検」は、月毎にあるので、対象になる年月の注文書を集めてインプットいたしました。
昭和51年の秋には「DMハガキ」を発信することができました。効果はテキメンで、サービス部の売上が前年比約140%という結果が出ました。当時は、オイル・ショックの後遺症が残る不景気であり、また、自社は前年の「車庫証明偽造事件」のダブル・パンチで大きく低迷していただけに会社全体に大きな希望を与えました。
社長は、沈滞ムードの中から脱出する為の「再建5ヵ年委員会」というものを召集して幹部社員の意見を聞き出しました。いろんな意見が出たのでしょうが、皆小手先の意見ばかりで「君らの考えでは、何の脱出策にもならん。人が動いて成績が出るなら、毎年30%もアップする給与に見合う効率が出せるのか。3年したら倍になるんやで!そんなカンタンに売上がUPしない。これからは、DMでサービス売上が大きく伸びたように、コンピュータの情報でクルマを売る時代になるんや!」と檄を飛ばし「情報」の重要性を説いたと先輩から伝え聞きました。
本当に、データ・パンチは単純作業でつまらないのですが、うれしくて「やり甲斐」がますます大きくなりました。また、同時に、「システム」を使って作成したハガキで、郵便屋さんが配達してくれて、お客様の方から「点検」や「車検」を受けにくるという「他力本願」のマーケティングに味をしめたのです・・

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