すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第101話 「関連会社で営業経験!」I・・いよいよ独立へ

平成7年は阪神淡路大震災で始まりました。この年は、顧客担当になり約40社とお付き合いしましたが、この突発的な震災の影響もあってビジネスがうまく見通せない状況になっていました。オームの事件もありましたが、3月に次男が公立高校に受かったのを契機にいよいよ「独立」を決意しました。丁度、この頃に、私の手がけた開発案件が全て完了ということになったという重なりでした。「辞表」を提出して、受理されました。 振り返ってみると、私は、この会社でIBMのオフコンを4台販売し、開発案件を4件受注していました。あこがれた営業という世界を約2年経験しました。「粘り」強い交渉という意味で、部下が負けた案件をひっくり返すことも行いました。交渉という意味で、本当に貴重な経験ができました。約3年の在籍でしたが、トヨタという恵まれた環境から飛び出して、初めて知った「現実」は大きな経験になりました。 平成7年7月に有限会社エー・エム・アイを創業しました。この時には、自社のお客様がない状態でのスタートでした。この時も、成瀬商工(株)の成瀬社長から「栩野さんに仕事を出してあげなさい」というお言葉でオフコンのソフト開発を頂きました。本当に温かいお言葉でした。しかしながら、本業のコンサルタントとしての仕事を得ることができずにいました。 独立までに船井総研の講座を手伝っていましたので、その講座が終わった時にメンバーの方が「栩野さんの勉強会に参加するよ」と言ってくれました。早速、9月に「異業種交流勉強会」を立ち上げることにして、その連絡をかねた「AMIブレチン」を作成して郵送していました。この1枚のブレチンから「新しい始まり」が起こりました。この模様を「それは1枚のブレチンから始まった!」で連載しますので、そちらをお読み頂きたいと思います。これで、私のサラリーマン人生の物語を終了いたします。ご愛読、心より感謝申し上げます。

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