こんな訳で「失意」の毎日を送っていました。これは、後から聞いた話だが福井社長は私を役員へと配慮してくださったようですが、これも、抵抗勢力の営業部長より先を行くということで終わったようです。本当に、福井社長には大変可愛がって頂きました。心からの「恩」というものを背景にする「感謝」の気持ちで「いっぱい」ですが、現実には、徐々に毎週送っていたレポートも書く「内容」がなくなり、途絶え勝ちになりました。
そうこうしている内に、学校の夏休みに入りました。子供たちの「通知票」を見てビックリする事実を知ったのです。それは、上の子はお陰様で成績優秀なので問題はなかったのですが、中の子の成績表に驚いたのです。それは、中学1年生になっていたのですが、学科などの点数も驚きましたが、もっと驚いたのは欠席や遅刻で毎日のような状態だったのです。実は、私のところは「共働き」で夫婦ともに7時30分までに家を出るのです。両親が同居しておれば、それでも問題は緩和されるのですが、小さなマンション住まいの「核家族」だったのです。
これは「イカン!」と思いました。今まで、会社の為に「人づくり」に励んで来ましたが、自分の足下で大変な事態になっていたのです。「これは、改善で人づくりっと言うばかりでもない!」と思い始めました。そんな「思い」が心に芽生えながら、盆休みに入りました。この時は、家族で「バスツアー」に参加して、楽しい思い出が沢山できました。これをきっかけに家族との「絆」というものを感じるようになりました。自分の考え方も徐々に変わっていました。
そんな変化があった中で、盆休みが明けて会社に出ると、ビックリする人事異動が発令されました。それは、9月1日付けで、私の他に内勤で頑張っていた課長2人が営業所長と辞令が出て、私には「業務課長を命ず」というものでありました。私は、本当に腹が立ちました。営業というモノがそんなに偉いのかと・・でも、現実の事例なのです。私は、「体力」を配慮してくれたのでしょうが、業務課長という降格人事でした。「そんな配慮などいるか!」と憤りましたが、従うしか他に道がないのですが・・。別に給料が下がる訳でないのですが、自分の築いた「コンピュータ」から離れることになりました・・
|