<月刊AMI>2023年9月号 Vol.264 ■△▽●○□


1.2つの理解


 昭和38年(1963年)に日米で初の衛星中継が行われ、ケネディ大統領が銃殺された衝撃的な内容が飛び込みました。
当時、私は中2でしたが、同時通訳の西山千さんが「2つの理解」という事をおっしゃっていたのを覚えています。
会議でも国会でも論争が行われますが、参加者が自分の立場で主張するので平行線状態という事があります。
例えば、現在の中国と自衛隊の実務者が対面で会議する事が行われていますが、双方の立場を理解し合うことに役立っています。
また、国際会議では、事前に事務方が協議して統一見解を出す作業しますが、ここでも合意形成が出来ずに核心に触れない合意になる事が多くあります。
ホンマに「立場」で物を言うと平行線になるので難しくなります。

 さて、身の回りに目を向けると同じような事があります。
「親と子」「夫と妻」「男と女」「自分と近隣」などが挙げられますが、ビジネスにおいても同じ事が言えます。
「経営者側と労働者側」「売り手と買い手」「使用者と供給者」など様々な関係があります。
私は、元来、自分しか見えない性格だったので、自分が出来ると思う事は他の方も出来ると思う事が多かったのです。
サラリーマン時代は、上司だったので、部下の方が忖度してくれて私の想いを理解してくれていたのですが、今から思えば、日頃のミーティングで想いを伝えていた事で齟齬がなかったと思っています。
何せ、コンピュータのシステム開発なので「会社の為」という大義があったのです。


 しかし、独立して経営コンサルタントをするようになって、「結果」が全てのビジネスになり、如何にして社員さんを巻き込むかが課題になりました。
私は船井総研の客員経営コンサルタント養成学校に通って船井流を学んだのですが、故船井先生から「百匹目の猿」を教わり、他の人がマネをする特技がポイントと理解して、当時、企業なら100%普及のFaxに目を付けて「形は心を動かす」という信念で「ちらし」(コンテンツ)づくりと一斉送信の為のデータベースづくりから始めました。
東京商工リサーチの「CD Eye‘s」を購入してターゲット・リストを作成、コンテンツを発信するのに一斉送信システムと契約などをして「発信」を代行するようにしました。
コンテンツでは前澤さんを雇い、販売促進会議で決めた商材を数日で「ちらし」にして発信する事でプロとしての立場を確保したのです。
あるお客様は「うちの社員は栩野さんの速度に追いていけない」とおっしゃられる状況でした。  しかし、Faxのレスポンスだけでは「効果低減の法則」なので右掲のイノベータ理論に基づいて、レスポンスのあるのは全体の2.5%のイノベーターであり、アーリーアダプター(13.5%)やアーリーマジョリティ(34%)の半数が関心を持ったが動かない層と考えてレスポンスの10倍が潜在客として、送信リストの10%をフォローすると同じ位の見込客が出て来るという「Faxちらし・3段活用マーケティング」と銘打ったのです。
実際に、後追いで「これ、如何ですか?」というシンプルな切り出し話法で見込客の炙り出しが出来たのです。
その事からロールプレイングで「切り出し話法」や「応酬話法」を共有化して頂いたのです。

 先ほどの「百匹目の猿」は、終戦直後、京大の霊長類研究所が宮崎県の幸島で猿の餌付けをした際に、若いメス猿が海岸の川辺でイモを洗うと美味しいという事を発見して続けると若いオス猿からマネをするようになり群れに広まったが最後まで抵抗するラガード層がいる事が分かったのです。
また、この「イモ洗い」の現象は「シェルドレイクの法則」で時空を超えて他の地域の群れに伝播した事で、故船井先生はコンサル術も上手く行くものはマネする者が現れるので深化するように教えて下さいました。
弊社も前澤さんにHPを担当して頂き、メール販促でランディングページ(LP)のリンクを貼るように進化したのです。
 営業の方ならよく理解されていると思うのですが、お客様の中で先ず一人を見つけ、その方が喜ぶ事で他の方が注目するようになるのです。
「一本釣り」と言いますが、まず一人がスタート台。
その方とコミュニケーションして関係性を深めて集団の中で「居場所」をつくる事が基本です。
これは人間関係では普遍の法則なので皆様もご理解された方がよいと思います。
2.最後に
 最近、転職を薦めるコマーシャルが増えています。
私も関連会社に転職しましたが、落下傘のような状態で組織に入ったので苦労しました。
その組織で根を張るか別の世界かという分岐点で船井総研の客員経営コンサルタント養成学校の募集が目に入り船井流のコンサルティングを選択したのです。
上司(役員)の許可を得て自費で夜間に通いましたが、資格を得たが上司が東京へ転勤して支持者がなくなり、’95年に独立起業したのです。
今日まで運良くお客様に恵まれて経営できた事に感謝しています。


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