<月刊AMI>2023年4月号 Vol.260 ■△▽●○□


1.「変革の四月」(2023年)

 右掲は、初めて作った「独り言」川柳。密かに流行していると聞いて興味をもって詠む機会を待っていたが、ついにやって来ました。
それは、突然やって来たのです。
毎朝、モーニングに通っている喫茶店のママから「アボカド」のプレゼントを頂いたのです。
その時の心境を詠んでみました。
「残春」は文字通り季節の言葉で「春の残り」ですが、人に当てはめると幾つになっても青春時代のような「心をときめかす」事が重要なので、ちょっとした事で「心」をときめかしている事を「独り言」川柳に表現しました。
字余りですが、何とか表現できたと悦に入っています。

しかし、ポイントは「残春」と表現したように少し「妄想」が働いた事です。
喫茶店のママは、昨年、ご主人を亡くされた未亡人、私も妻に先立たれて9年以上になります。
勿論、それ以前からモーニングに通っていて、地域の方たちと情報交換の場になっていましたが、自炊するようになって料理の相談をしていたのです。
例えば、ニンジンは袋で売っているので使い切るのに日数がかかるのです。
この話をしたら、千切りにしてサッと金平にしたら日持ちすると教えて頂いたのです。
丁度、妹尾さんのTV通販で食材カット器クレバースライサーを買った頃だったので、千切りに苦労する事無く金平にする事が出来て、豆腐などの味付けに添えるようにしています。
今回、カンタンおかずの一品として「アボカド」を頂いたのです。
熟して黒くなったアボカドを切って、ワサビ醤油で食べると刺身のような味がしておいしいとの事でしたが、そこに余計な妄想が走りました。
実は、他にお客様がいない時だったので少し心がときめいたのです。
「何故、自分なのか」と思ったり、「このお返しは何にしようか」などと考えると楽しくなったのです。勿論、お互いに「不踰矩」の年代になっているので、昔のような「青春」を取り戻す事は出来ないのは理性で分かっているのですが、まぁ、そこが「妄想」なのです。
「妄想」の段階で済めば、何の問題も起こらないので「残春」を大いに楽しみたいと思ったのです。

こんな背景があって川柳を詠んだのです。
他人の評価は別として、我ながら「よく出来ました」と褒めたいと思います。
もし、「残春」が季語なら俳句になると思う程の出来栄えと悦に入っています。
そして、確かに題材がないと詠めないと実感しました。
テレビ番組に「プレバト!!」があり、芸能人たちが詠む俳句を夏井いつき先生が評価して段位を授けていますが、季語や比喩などで余韻を膨らませるなどと解説されているので難しいと思い、芸能人の有能さに感心していましたが、自分で川柳にチャレンジするとさらに言葉のキレが難しいと実感しました。
 今年も「変革の四月」がやって来ましたが、このように、今年は「独り言」川柳にチャレンジと「残春」です。
サミュエル・ウルマンの詩「青春」では、「肉体の若さでなく、精神の若さだ」と言っています。
私は、7月に満74才になりますが、中国の五行では25才刻みで「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4期に分かれますが、「白秋」の終わりで「玄冬」の入り口に差し掛かっています。
「残春」は文字通り「残りの春」とすれば、去年10月に大動脈瘤の手術を受け回復に時間がかかり体力の衰えを実感しますが、残りの人生を充実させたいと思っています。
そして、「残春」=「少しときめく」とすると、これからの課題になると思います。
今まで、プレゼントを辞退して来ましたが、これを機会に受けるようにして、何を返そうかと悩むのもありかと思うようになっています。
まさに個人的な「異次元」の変革にチャレンジだと思っています。
2.最後に
「最後にときめいたのはいつですか」と尋ねられたら、どう答えますか?誰しも「少しときめく」事があると思いますが、個人差があると思います。
私のような後期高齢者の年代では「残春」=「少しときめく」が生活のスパイスになると思います。
充実した老後に向けて「異次元」の要素が加わった感じがしますが、チャレンジしてみたいと思います。


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