<月刊AMI>2022年12月号 Vol.256 ■△▽●○□


1.闘病体験記

今年も押し詰まって来ました。
皆様もこの一年間を振り返るといろんな事があったと思います。
私にとっては6年9ヵ月前に健康診断で胸部大動脈瘤を発見されていたのですが、当時、母の介護もあり手術する状況ではありませんでした。
母が3年前に他界し実家を相続してリフォームし三男が別居、そして、昨年3月に事務所のレイアウト変更してオープン空間が出来て、そこに作業机を入れてカンタンな談笑や打合せが出来るようにしました。
その後、社外で働いていた山口さんが社内勤務の申し出があり、ようやく、社内環境が落ち着きました。
この状況下で手術を受ける決意しました。

 右掲は私が経験した「大動脈瘤手術」の大まかな日程です。
10月17日の朝、シャワーを受け、貴重品を預けた後手術室へ向かいました。
手術室に着くと事前に作ったマウスピースを装着した後、麻酔がかかり意識がなくなりました。
17日の約6時間の手術の後、一旦、目を覚まして三男が心配そうに見てくれていました、その後、麻酔がかかり18日の午後ICU室に移り意識が回復しました。
手術〜準ICUの間は、いわゆる「寝たきり」状態でした。
その後、順調に推移して、31日に希望通りに退院できました。

しかし、前号でReborn&Reskillingと書きましたが現実は厳しく、退院後が予定通りに進みませんでした。
私自身は楽観的な考え方なので、リモート会議なら身体に負担がないと31日にお客様との会議を行ないましたが、思いのほか身体に負担があり、約1時間半の会議で体温が34.8度に低下しました。
この対策で明くる日は食事と睡眠で対応、何とか体温が戻り、2日に午後から出社で自宅から事務所までクルマで送ってもらったが、降りた途端に眩暈に襲われて事務所のあるマンションの生垣に座り込む状態、幸い地域包括支援センターがあり緊急にクルマ椅子を借りて事務所へ行ったという状態。
とりあえずの処理だけに絞って1時間程でクルマ椅子・自動車で帰宅しました。
3日と4日は休養で5日(土)にお客様のオンライン会議に自宅から参加で任務を果たせた。

このような状況から、体力回復がポイントと食べる量を増やしました。
さすがに、体温や血圧が安定して、眩暈もしなくなったので一安心となりましたが、次の落とし穴が待っていました。
それは9日の夕飯時に少し足らない感じだったので近所のコンビニで豚まんを買ってもらった事です。
久しぶりに美味しいと思いましたが、夜中に痛風を発症し、10日は外来検診だったのでピンチになったのです。
ともかく、応急処置を調べてシップで冷やし、ともかく、タクシーで病院へ行きました。
手術の傷は順調な回復でシャワーから入浴の許可になりました。

その後、歩く事が課題になり、昼食後、自動車で事務所に送ってもらって1〜2時間の作業をする状況ですが、作業するにしても当初は集中力がありませんでした。
別な表現をすると新聞を読むという事が出来ない状況です。
ともかく、三男には迷惑をかけますが午後に出社して1〜2時間という流れを維持しています。
ようやく、右足の痛風も痛みが薄れて来ましたが、腫れている状態なので靴下を履くのも一苦労です。
この原稿は11月15日に書いていますが、多分、この記事がオープンになる頃にはもっと状況がよくなっていると確信しています。
半月あるので、ひょっとしてリハビリに成功して歩けるようになっているかもと想像しています。
執刀医の先生は麻酔もうまく行き手術は後遺症もなく100%成功なのだから100%元の状態に戻って下さいとおっしゃっています。
焦らずに、「日にち薬」と「100%の回復」を信じて根気よくリハビリしたいと思います。

最後に、大病して、つくづく他の方が病後復帰されている姿に頭が下がる思いを持ちました。
自分自身は我儘で午後1〜2時間でリハビリを兼ねていますが、サラリーマンの方々が養生された上であっても1日フルに勤務されて疲労は大変だと我が身のように思うようになりました。
皆様の頑張りに負けないように早く100%復帰を果たしたいと思っています。
2.最後に
 「歩く」というベーシックな事が大変と実感しています。
ようやく、300m程、自力で歩けるようになっています。
(11月16日)自宅と事務所を1回休憩で行けるようになっています。
日にち薬と言いますが日々好転しています。
気長に生活リズムに戻れるように努力して100%元の状態に復帰したいと願っています。


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