<月刊AMI>2020年4月号 Vol.224 ■△▽●○□
私事ですが、先月12日に母が亡くなりました。
満95才(享年97才)、死因は診断書では肺炎となっていますが、ほぼ老衰でした。
痴呆症になっていましたが、持病がなく薬は必要がない状態でした。
元気で一人生活になれていたので介護認定を受けるのを拒んだのでディサービスもなかなか行かなかったのです。
入浴が危険になったのがキッカケで風呂を私の家で入るようにしたのですが、入浴中に2度失神して危ない目に遭い、2度目は救急車で病院に行き3日間検査で入院しました。
これを機会に介護認定を受け、「入浴」を主目的にディサービスに行きました。
1年ほどしてディサービスで急に肺炎になり1ヵ月ほど入院しました。
この時、退院後の生活を考えて介護施設にお願いしたのです。
約3年2ヶ月お世話になりましたが、その間、5度肺炎で入院しており、最後は他界となったのです。
お通夜の晩にいろいろと母の事が脳裏に浮かびました。
本当に、70年間、母の近くにいたのでいろんなことを教わりました。
まず、結婚した時に「毎月、1円でも残せ、それが出来ないならチキンラーメンでも食べて残せ」と教わった事を思い出しました。
当時は、サラリーマンだったので言葉の重みが分からなかったのですが、自分が独立して初めて実感しました。
会社は25年になろうとしていますが波乱万丈の経営だったのです。
当初、開業資金として退職金や保険などを解約して用意した1500万円が3年ほどで底を尽きました。
社員がいたので給与は支払わねばならないので、自分の給与を下げて社会保険や税金を抑え、それでも資金が不足すれば未払いとしました。
本当に、何度か経営危機があり、その都度、先行き不安に晒されました。
その時、心の支えになったのは「1円でも残せ」という母の言葉だったのです。
いろんな事で節約することを学びました。
とは言っても、個人の銀行口座貸し越しやクレジットから借りることもあり、返済をキチンとする為にさらに節約するという繰り返しだったのです。
「借りる」は「返済」が裏側にあるのです。
お陰様で、この10年は経営が安定して資金繰りも楽になり、頻繁に銀行で入出金することもなくなり、心理的なゆとりから「節約」も少し緩んで来ています。
次に、母は近所の介護施設に居たので、ほぼ毎日、面会に行きました。
3年ほど前の事ですが、ある日、突然、「お前は今が一番元気だ」と言ってくれたので驚きました。
母にとって、若い時に病弱だった私の事が気がかりだったのです。
私は、中小企業家同友会に入会してFaceBookを始め、公開減量宣言をしたところ、カナダ在住の女性から「減量するなら、食事だけではムリだから運動しなさい」とアドバイスを受けて、自宅と事務所間は直線で500mを30分2.5kmのコースを作って、昼食も自宅で摂るようにして2往復10kmを歩く習慣ができて、94kgから77kgまで減量ができました。
これで、「運動」x「食事」⇒「健康」という信念が出来て健康に過ごしています。
3つ目は、「何事も感謝して無心になってやれ」という激励の言葉です。
誰しも何かしらムヤムヤした気分になる事があると思います。
そんな時には「感謝」して「無心」になる事で物事に着手できるのです。
やり続けると成果が出始めてムヤムヤが吹っ飛んで達成感が高まるのです。
つまり、「感謝」x「無心」⇒「楽しい」と変化して行くのです。
キーは「感謝」x「無心」なのですが、実際には「楽しそう」に演じる事なのです。
何事もやる事を明確にして、まず着手できる事から始めると手応えが出て来るので一歩前進するのです。
そして、徐々に高めるとコツが見えて来て本当に「楽しい」という状況に近づくのです。
最後は、3月6日に「熱い」と言った言葉でした。
検温したら6度4分だったので施設の看護師も何もできなかった。
しかし、前日まで誤飲防止の発声練習やグーパー運動を一緒にしていたが、それが出来なかったのです。
やはり、体力の衰退が起こっていたと思います。
そんな事を思い浮かべながら、お通夜の晩、ベッドで母から教わったことを思い浮かべました。
母から教わった3つ、中でも「チキンラーメンを食べてでも1円でも残せ」を再度噛み締め、「強く生きる」為に忘れないように気を引き締めたいと思います。