<月刊AMI>2019年4月号 Vol.212 ■△▽●○□


1..私にとって「平成」とは

 右掲は、古代中国から伝わる人生観を四季に表した物です。
前号で五木寛之先生の「白秋期」という本をご紹介して「地縁・血縁・社縁」の3つのご縁で人生が彩られているが、「社縁」を卒業すると「地縁」が重要になるという主旨の事を書きました。
五木先生の「青春の門」という本は映画にもなったので皆さまもご存じと思いますが、「玄冬の門」という本を出されていたのです。
人生の終わり方について書いておられたのですが、前号の「白秋期」という著書で70代は「白秋期」で人生の収穫期だとエールを送っておられ、まだまだ私は「玄冬期」だと隠居する訳に行かず、これに励まされています。

 さて、今月は「平成、最後の月」に当たりますので、ある出版社から「私にとって平成とは」という題で記事を書く機会があり、私自身を振り返ってみたのです。
まず、上記の「青春」ですが、両親の支援があって一年浪人して私立大学に進み、そこで、「コンピュータ」の道を見つけ、それを武器にトヨタ系販売店に就職したのです。
つまり、大学に入るまで「やりたい事」が見つからずに長い間、探し求めていたのです。
そして、トヨタ系販売店で故福井社長の支援の元でコンピュータのソフト開発を行ったのです。
バッチ処理のオフコンから始まり、コンピュータの進化と共に拡大して、最終的に全社オンライン・システムを構築して、トヨタ方式の物流管理システムやテレ・マーケティング・システムまで構築して、当時では「やり切った」と思えるところまで開発したのです。

 こうして、「朱夏」を迎え、本来は管理職から役員を目指す筈だったのが、43才の時、システムを離れる人事異動で一からやり直すことになった際に、「社長はクルマの道、私はシステムの道」という主旨の辞表を出して関連のソフト会社に移ったのです。
しかし、落下傘でナンバー2のポジションになったのですが、自分の求める「トヨタ方式」の展開とは現実が大きくギャップしており、会社では日本LCAの「DIPS」を導入して、そのシステム商品開発を行い、同時並行で個人的に船井総研でコンサルティングを学んだのです。
船井総研の客員経営コンサルタントの資格を得て、本格的に活動しようとした時に、上司の役員が東京へ転勤しており支援者がいなくり、私が手掛けた開発案件の終了を待って退職して、今の有限会社エー・エム・アイを創業したのです。平成7年、46才の時(朱夏中央)でした。

 それから、24年が経過して、お陰様で良いお客様に恵まれて安定した経営が続き、平成22年に三男が入社して自身の道を切り拓くために弊社のお客様のシステム開発を行なっており、業務改善で効率化の成果を挙げています。
弊社は、「システム術」x「デザイン術」の2本柱で「コンサルティング」をする会社として事業戦略を展開しています。

 つまり、私にとって「平成」は、青春時代にコンピュータの発展で「物」を追いかけた後、「21世紀は企画の時代」を信念にして経営コンサルティングで「コト」を追いかけてきた時代だったのです。
ハードであるコンピュータのソフト開発から、本当の意味でのアプリ・ソフトへシフトしたのです。
「物からコトへ」の言葉通りの24年間で夢中に過ごした実りある「朱夏後半」だったのです。

 次の時代は来月、新天皇に変わり、すぐに「新しい時代」が始めるのですが、私にとっては、昭和の「物」→平成の「コト」→新時代の「?」となります。
「?」は前号で五木先生の著書「白秋期」のカバーに「地図のない旅立ち」とありましたが、まさに先輩からも体験を得られない「未知」へのチャレンジという意味なのです。
現在の計画では、2025年大阪万博の年は、弊社の創業30周年にあたり、三男は38才で「朱夏前半」に突入して事業に邁進することになり新事務所を開設して事業承継を果たし、私は、今の事務所で間接的な支援を行い、求めに応じた経営コンサルティングを行っていると夢見ています。
あと6年、時間があるようで、案外、早く来ると思っています。
ともかく、若い世代の邪魔をしない事を心がけて「白秋期」をエンジョイして、お客様の発展に貢献できるようにして行きたいと思っています。


2.最後に
 「平成、最後の〇〇」というフレーズが多くなっていますが、人生を振り返ってみると「システム開発の昭和、経営コンサルの平成」と大きく括ることができます。
最近は、7月に満70才になりますので五木先生の「白秋期」に励まされています。
「男の峠道」という三波春夫さんの歌がありますが、80までの10年間を上り坂と思って「峠」を目指したいと思います。
まずは、老後の3K(健康、金、孤独)をクリアして、人生をエンジョイしたいと思っています。


月刊AMIトップへ