<月刊AMI>2017年5月号 Vol.189 ■△▽●○□


1.トンでもない志


 右掲はトヨタ自動車の祖である豊田喜一郎氏の写真です。
MBSで放映された「リーダーズ」というドラマをご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、俳優の佐藤浩市さんが演じた愛知佐一郎のモデルです。
このドラマはトヨタ75年史を元に製作されたほぼ実話に近いドラマです。
国産自動車黎明期の先駆者の苦悩がよく描かれていますのでDVDも発売されるので未だの方はお薦めです。

 豊田佐吉という名前をご存じの方も多いと思いますが、明治・大正期に自動織機の発明開発を行い、その特許で莫大な利益を稼いだ方で偉人の一人として学校で習った方もいらっしゃると思います。
この佐吉翁の長男が章一郎氏で、発明家の血筋を引いた方です。
今も豊田自動織機という会社がありフォークリフトなどで活躍していますが、この自動織機の事業に甘んじずに佐吉翁の「障子を開けよ、外は広い!」という言葉に押されて、国産乗用車で国を豊かにする大きな志を一人で自動織機工場の片隅で研究開発を始めたのです。

 この時の周囲の反応は「大金持ち坊ちゃんの道楽」という冷たい物だったのですが、原動機付き自転車を製作して、その本気度を示したのです。
そして、昭和初期に国産乗用車を開発すると言いだしたのです。
殆どが輸入車という時代に畑違いの未知の乗用車を開発すると言いだしたのだから周囲の驚きはさらに加速するのです。
幾ら自動織機で儲かっているからと言って、当時の財閥三井などが二の足を踏む状況下で未知の自動車開発に資金を注ぎ込むのだから自動織機の番頭格であった石田退三氏が抑えようとかかるのは当然の事だったのです。
そんな中、全てを自前の技術でA1型乗用車を昭和10年に開発させたのです。
昭和13年に挙母町(現豊田市)に60万坪の土地を取得して大量生産が可能な工場を完成させ、その後、AA型として1404台生産したと記録されています。

 しかし、戦争の足音が高まり、軍司令でトラックを生産しないと自動車メーカーと認めないという事になり、渋々、開発に着手したのです。
ドラマでも描かれている「鈴鹿峠を超えられないトラック」という状況が待っていたのです。
原因はプロペラシャフトの強度不足だったのです。
自社内の製鉄施設で試作を繰り返すが何度も失敗を繰り返したのです。
当然、トラックを買ったユーザーからのクレームが起こり、販売店(現愛知トヨタ)も鈴鹿峠に修理施設を作るなどの対応策を練る程です。
こんな状況なら、ユーザーのクレームに耐えられずに販売を止めるのが常識と思えますが、この愛知トヨタの山口昇氏は、豊田喜一郎の「自動車で国民に夢を作る」という大志に触れて感銘しており、その「夢」実現に販売側として大活躍されたのです。
問題のシャフトも部品を全て内製するのではなく、地元メーカーに協力を仰ぐとなり協豊会が出来るのですが、その中の一社の社長さんの一言「刀」からヒントを得てクリアしたのです。
これでトラックを量産して軍需工場として認可を受けて危機を突破したのです。

 自動車は戦時中に配給制になっており、トヨタも日産も同じ会社で販売していたのですが、戦争が終わってGHQ下で販売の自由化、乗用車生産の復活を喜一郎は販売の山口氏を巻き込んで訴え勝ち取ったのですが、戦後の不況でトラックが売れずにトヨタも販社も苦境に立ったのです。
この時、トヨタ販売店協会の代表であった山口氏は、日産系だった奈良の菊池氏(現奈良トヨタ)を撒き込んでトヨタにクレームの声を上げる他の販社の社長たちに、トヨタへ1社20万円の資金を出そうと提案して実現し、トヨタの資金難を回避したという伝説の逸話が残っています。
この後、さらに資金難になったトヨタに労働争議が起こり日銀管理下で協調融資を受ける条件でリストラ1600人をトヨタ販売店協会に喜一郎が辞職を引き換えに行うと発表して実施したのです。
皮肉な事に翌年朝鮮動乱が起こりトラックの特需が起こり、業積が回復しリストラした社員を呼び戻す事が出来たのです。

 トヨタの社訓「1にユーザー、2にユーザー、3にメーカー」は、この背景で生まれた物です。
実際に、今や自動車の販売会社は殆どがメーカーの直営になっていますが、トヨタだけは地元資本の経営で繁栄しているのは、この社訓が活きている証拠と思います。
「乾いたタオルをさらに絞る」と揶揄されるトヨタ方式ですが、トヨタ販売店協会やメーカーの協豊会会員はその厳しい要求にも耐える高い販売効率や生産効率で応えているのです。
これは、一人の「トンでもない夢」から起こった繁栄なのです。
私たちは、こんな大きな事でなくても自分が少し発想を変えればできる「トンでもない事」で大きな夢を描いて頂きたいと思います。
「想いは実現する」を実践して何回も壁を突破してやり遂げたいと思います。


2.最後に
 「改善の4人衆」というのがあります。
まず、「トンでもない事を言いだす人」が口火を切るのです。
この人がいないとマンネリに陥ります。
次に、その「トンでもない事が出来るとヒラメク人」が重要なのです。
多くの場合、このヒラメキがあってもリスクを考えて出来るとは言いださないのですが、ここでは、賛同して一緒に始める事が大切です。
3番目は「トコトン実践する人」です。幾らできるとヒラメキがあっても現実は甘くなく、何度も「壁」にチャレンジして突破する事が大切なのです。
こうして実現した事を「ルール化して他に横展開する人」がいて広まって行くのです。
この4要素を一人でやる場合も多いので、現実には難しい課題になります。


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