<月刊AMI>2015年11月号 Vol.172 ■△▽●○□


1.新聞の存在価値


皆さんは新聞を購読されているでしょうか。
朝・夕に届けられます。
私は、昭和48年にトヨタ系販売店に就職した時から日経新聞をとっていましたが、亡き妻が早期勧奨退職して彼女が主に読むようになり読売に変えました。
日経は、さすがにビジネスに関する情報が多いので、それなりに情報としての存在感があったのですが、読売では、その辺が薄いのが最大の不満です。

 一般的なニュースなら、インターネットで、しかも無料で速報が読めるし、TVで主だったものは解説してくれます。
従って、新聞の記事は半日遅れという感じなので、一般的なニュースにおいては、冷めた料理という感じです。
同じ冷めた料理なら、スポーツ紙の阪神を中心にした偏見に満ちた話題の方が読み応えあるのです。
そのスポーツでも中途半端な記事になっているのが一般紙です。

 よく、「新聞は一日経てば、新聞紙」と言いましたが、新聞回収日まで保管するのが大変なのです。
情報として遡って読もうとしても保管した紙の中から見つけ出すのは、まるで砂漠の中で落としたダイヤを探すような状況なのです。
ところが、インターネットなら、キーワード検索で探すことが可能なので、こんな面でも新聞の存在が薄いのです。

 じゃ、折り込みちらしの情報価値があるかという事ですが、亡き妻は、結構、ちらしを読んでいて、○○が安いからと言って遠くのスーパーへ行っていましたが、これも、若い方はネットちらしを見るそうです。
近所の食品中心スーパーでもネット掲載されているので、この情報も紙媒体ではいらないと言っています。
確かに、ネットで見るので紙の保管廃棄の手間が要らないです。
その他、クルマや衣類のちらしもありますし、パチンコのちらしもありますが、余り関心がない情報は鑑賞の価値もない感じです。

 読売で感じるのは旅行のPRが多いということです。
毎日のように、いろんな旅行の広告があります。
亡き妻は、これを活用したのか「一人旅」を楽しんでいたのです。
まぁ、自分の退職金を使うのだから、海外にも度々出かけていました。
TVで海外の光景が出ると「ここへ行った」と言っていました。海外も国内も堪能したようです。

 雑駁なことを書いて来ましたが、月に4千円ほどを支払う価値があるのかと思う時があります。
字を読むという点では、紙もネットも同じと思います。
新聞が唯一優位な点は、30数頁の紙面で一覧性があるという事です。
時々、コラムでハッと感じることに出合うという利点があります。
読売の社説は右寄りなので、余り、参考にならない感じです。
大体、私自身、右系の考え方なので同じ意見を読んでも感じないのですが、たまに、喫茶店などで左系の毎日や朝日を読んで、逆に気づくこともあります。
この気づきに月4千円、毎日や朝日を読むのに一杯350円のコーヒー代は、どうだろうかと思います。
今のところ、読売をやめる心算はないですが、全く、自由な身になれば、喫茶店をはしごするのもありかなと思います。

 しかし、そうならないように頑張って行きます。
サミュエル・ウルマンが「青春」という詩の中で、「若さとは肉体ではなく、精神の若さを言う」と言っています。
まだまだ、頭を柔らかくして、新しい事にも興味をもって、若い皆さんと一緒に働きたいと思っています。よろしくお願いいたします。


2.最後に
 今年も11月になり残すところも少なくなって来ました。
「一年の計は元旦にあり」と言いますが、実は、今頃から考え始める位が丁度よいと思います。
今年を振り返りながら、未達の事柄などをチェックして再計画して、実現へ努力するにも十分な時間があります。
そして、新しい課題を集めておいて、次年度の計画にするという事が大切です。
特に、年齢は確実に増えて行きます。
例えば、孫が何才になるとチェックすれば、プレゼントの計画も立てられます。
そんな時期になりました。


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