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     ** AMIニュース 2007年11月24日 **

     メールは、弊社のお客様に送っています。 Vol.38

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1.トピックス

いよいよ、忘年会シーズンが到来という感じですね。

私は、月末に、第1回目の忘年会があります。

皆さんの中には、もう既に?回目の忘年会という方もおられると思いますが、
今年は何回くらい予定されているでしょうか?

11月中旬になって、急に冷え込みましたが、少し、今日は、緩んで来ました。

個人的には、石油・ガソリンが高騰していますので暖冬であって欲しいのですが、
経済的には、寒い時期は「寒い」方が良いとの事です。

長期予報では、平年並みのようですが、気象庁には申し訳にですが、
「当るも八卦当らぬも八卦」的な感じと思います。

寒い時は、熱燗と鍋物が良いですね。

お酒を飲むならビシッと「寒く」なって欲しいですね。

何とも「優柔不断」な感じで申し訳ございません。


さて、本日の「楽笑カレンダー」には
「よい人生とは よい夢をもつ事から始まると言う」
とあります。
http://www.rakusho.co.jp/

下記のコラムでは、トヨタの「中興の祖」的な存在である3人をご紹介して
います。

この3人の方たちはどんな「夢」を持たれたのでしょうか?

またまた、長文ですがよろしくお願いします。

☆「明るいビジネスネット」に掲載
https://www.akaruibn.com/presentop.jsp

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2.コラム:「トヨタの3本柱」について(筆者:栩野 正喜)

■ある「雑談」から

先日、当社のご近所の三河屋製菓(「えびせん」で有名)の稲垣社長と
喫茶店でお話しする機会があって、
その雑談からトヨタの元社長である石田退三氏のエピソードを伺いました。

稲垣社長は、愛知県の一色町(三河湾の真ん中あたり、 隣町は吉良町)
のご出身です。

ある時、同窓会でトヨタ元社長の石田退三氏に講演を頼んだそうです。

その講演で石田氏はビックリするようなエピソードを話されたのです。

石田氏は、豊田自動織機の貿易を担当した時、
東京に駐在して、外人接待で芸者遊びを覚えて、茶屋からの出勤という時代
があったそうです。

この乱れた話が豊田佐吉翁の耳に入り、佐吉翁が夜行列車で石田氏の所に
来たそうです。

叱責を覚悟していた石田氏に、佐吉翁は
「どんどん金を使って儲けてくれ、その分、わしは、刈谷の田舎もんやから、
始末する」
と言ったそうです。

もちろん、石田氏は佐吉翁の言葉に大感動して心を入替えたのです。

その後、トヨタ自動車工業の社長になり、
「ケチのトヨタ王国」
を創り上げたのです。

このエピソードは、一般に紹介されていませんので、
真贋の程は定かではありませんが、三河屋製菓の稲垣社長が話された点や
石田退三氏が自ら話されたという2点がありますので、
また聞きの話ですが、信憑性は高いと確信しています。

そして、儲けが2兆円のトヨタの社長さんは2億円だが、
日産のゴーンさんは25億円の所得という風土の違いを稲垣社長は指摘され、
この佐吉翁と石田さんのエピソードから生まれていると話されていました。


■トヨタの3本柱

私は、関学を卒業してトヨタオート大阪という会社に就職して、約20年、
その後、大阪トヨタ(現大阪トヨペット)の子会社で3年勤務しました。

この間に、トヨタの3本柱は
★販売の神谷正太郎
★財務の石田退三
★生産の大野耐一
と教えられて来ました。

この3名のうち、石田・大野両氏は旧トヨタ自工の方ですが、
神谷氏は旧トヨタ自販の方です。

戦後、昭和25年に労働争議があり、トヨタ自動車工業は未曾有のピンチを
迎えたのですが、この危機の責任をとった喜一郎氏の後任として自動織機から
石田氏を迎えて、再建を計り、折からの朝鮮動乱の特需で再建されたのです。

石田氏は「乾いたタオルをさらに絞る」という「ケチ哲学」を実践し
トヨタの財務力を高めた方として知られています。

※)先ほどのエピソードを思うと人生の不思議を感じますね。

また、外注政策でも「内製主義」をベースにしており、
どんなに技術力のある企業にも100%依存せずに、ある程度は内製して
その技術開発やコスト削減をする
という厳しい姿勢なのです。

下請け企業を「生かさず殺さず」と言われますが、
必ず、トヨタはその価格で内製できるのですから、
下請け企業のコスト削減力があれば、十分に儲かるのです。

「自助努力」

これは石田氏ばかりでなく、トヨタの方々の合言葉なのです。

次に、大野氏は「カンバン方式」で有名な方で、
JIT方式の生産管理で教祖的な存在の方です。

JIT方式については、有名なのですが、その中味を誤解されている面も
多々あるのですが、今回は、詳細については避けたいと思います。

いろんな本が出ているのでご参考にしてくださるか、
直接、当方までお問合せください。

必ず、何らかのサジェスチョンを差し上げます。

3本柱の残る1本は、「販売の神谷」と言われていますが、
神谷正太郎氏なのです。

この神谷氏の具体的な功績は余り知られていないので、
私の情報データベースから少しご紹介いたします。

神谷氏が登場するのは、昭和25年の労働争議の時に、
トヨタ自動車工業の再建について、日銀名古屋支店が、
販売資金と生産資金を分離する意味で
販売手形を担保に資金を調達する専門の販売会社の設立を助言した
事で始まったのです。

昭和10年にGMから神谷氏が豊田自動織機の自動車部に販売面で入社していて、
神谷氏は兼ねてから販売部門の独立を考えていたので、
この流れで、トヨタ自動車販売を設立して社長となったのです。

「乾いたタオルをさらに絞る」という「ケチ哲学」のトヨタ自動車工業と
「1にユーザー、2にディーラー、3にメーカー、自工と自販は車の両輪」
という神谷哲学のトヨタ自動車販売という2社に分離されたのです。

神谷さんは「販売の神様」と称されていますが、私は、その功績は
★割賦販売の導入
★下取り制度の導入
の2つでモータリゼーションを加速した事と考えています。

昭和29年にトヨペット整備という会社を作って、
下取り車を整備して品質を維持・保証して再販売する
というスキームを作った方なのです。

私は、昭和48年にトヨタオート大阪という会社に入社したのですが、
★丸専手形(個人用の手形)
★下取り(スズキの軽)
の2つのサービスでパブリカを購入したのを思い出します。

ちょっと脱線ですが、パブリカって、なつかしいですね。

でも、1200ccだったので、結構、パワーがありました。

嫁さんは、このクルマでデートしています。


■トヨタ自販のディーラー政策

神谷氏は、
「1にユーザー、2にディーラー、3にメーカー、自工と自販は車の両輪」
という哲学でトヨタ自動車販売(自販)を作られたのですが、
前述の★割賦販売 ★下取りの2つの制度を確立した他に、
ディーラー政策に2つの特筆すべき事があります。

一つは、メーカーの作り過ぎで
ディーラーに売れないクルマを押し込む事を回避する仕組みとして、
各チャネルに数社、直営の販売会社を作った事です。

※)約300販社、約5000店舗、この内、数社が直営販社

従って、地元ディーラーは「売れるクルマ」を仕入れて販売するという事に
専念できたのです。

もう一つは、それでも経営に困窮したディーラーを支援する方策を
「貸付金」
とした事です。

地元経営者の経営意欲を信じていたのです。

他のメーカーがドンドン販売店を直営化したのと正反対です。

私の勤めたトヨタオート大阪の福井社長は、
実は、浪速日産モーターという会社からトヨタ入りした方です。

大阪トヨペット(現大阪トヨタ)の社長だった加藤誠之氏(神谷氏の後継者)
が福井さんの経営能力を高く評価されたので、トヨタ入りできたのですが、
ともかく、日産陣営からトヨタ入りした人は福井社長だけなのです。

この福井社長が、
「旧友(日産モーター時代の経営者)から羨ましいと言われている」
と話してくださったのを思い出します。

と言うのは、昭和50年に「車庫証明事件」が起こり、
折りしもオイル・ショックで販売不振だった上に、
営業幹部が「有印公文書偽造」という罪で検挙されるという事態になり、
資金不足に陥ったのですが、
当時のトヨタ自販は、福井社長の経営力を見込んで運転資金を貸し付けて
くれたのです。

それに比べて、日産陣営はドンドン経営を奪って直営化したのです。

この正反対の事実が今日の格差につながっている最大の要因と思います。

福井社長は、よく
「栩野君、何事もちょっとの差だよ」
と話して下さったのですが、
福井社長にとって
「トヨタ転換もちょっとの差だった」
のか知れません。

ともかく、神谷氏のディーラー政策は、
今年10月に国内シェア51.6%という金字塔に到達する強力な販売店網
の根幹となる礎を作った事になるのです。

これも昭和25年の労働争議の後、日銀の助言で完全に工販を分離した
という歴史から来ているのですが、
このトヨタの販売店網を創った神谷氏とって、
販売店は、自工と同じ存在
だったのかも知れないと思うのです。

「メーカーと同じように販売店を位置づける」
この点が一番重要なポイントと思います。

単なるディーラー・ヘルプでなく、育成する施策が必要なのです。


■永遠の課題の解決策

私は、いろんなお客様を訪問していますが、大抵の場合、
★販売部門と★生産部門が仲が悪い
のです。

一方は、コストダウンを追及しますし、
もう一方は、安く売ろうとする
という対立なのです。

どちらも会社の繁栄を願っているのですが、
販売と生産では、目の付け方が正反対になるのです。

トヨタの場合、日銀という存在があって、
しかも、GMのマーケティングに通じていた神谷氏がいたので
工販分離ができたのですが、
一般の会社では、人材がどちらかに偏っているのです。

製造の場合、革新的な製品を開発して、その生産を平準化・標準化・整流化
という3つの視点で計画的に進める事しかないのですが、
販売の場合、何もしないでも商品さえ良ければ、
お客様から大量の注文が飛び込んで来るので、
1枚の伝票でとてつもない売上を計上することも可能なのです。

R&Dと計画性をいう製造部門と「一発ねらい」的な営業部門の対比は、
本当に、相容れないものがあります。

このように、製造と販売の対立という永遠の課題を解決するには、
人材の補強が必要になるのです。

トヨタも製造会社なので製造部門に人材が偏るのですが、
GMから神谷氏を招聘したように、
不足する能力の人材を外部からスカウトする事が重要なのです。

人材さえ揃えば、トヨタのように財務をきっぱり分離して、
製造会社と販売会社と分離するのが一番の解決策なのです。

しかし、神谷氏や石田氏・大野氏という人材をスカウトしても
日本企業の風土では、分離経営するは難しい事かも知れません。

その証拠に、昭和57年にトヨタは章一郎氏(佐吉翁の直系)が社長に
なる機会に、大政奉還として自工と自販が合併してトヨタ自動車として
再スタートしています。

この時の状況は、私は、旧自販の方々から、その無念の思いを聞いて
いました。


■トヨタの凄い点

このように、トヨタは素晴らしいのですが、
私が経験したことで、もう一つ、ご紹介したい事があります。

誰もが「世界一」と認めるトヨタ自動車ですが、
そのトヨタがベンチマークしている会社があるのです。

一つは、永遠のライバルであるGMであり、
もう一つは、意外にもIBMなのです。

昭和57年に工販合併してトヨタ自動車となったとご紹介しましたが、
この時に、ディーラーのシステム部門が始めて旧自工のシステム部を
見学する機会があり、私は、若輩ものでしたが、会社を代表して、
見学に行ったのです。

この見学会で実施された会議で旧自工の役員が、
「トヨタはIBMからいろんな事を学んでいます」
という話があったのです。

私は、これを聞いてIBMでよかったと思ったのです。

実は、旧自販は、どちらかと言うと富士通やNECを押していたのです。

この工販合併を機会に「C80」という販売店システムの統一化が
進んだのですが、
その機器が富士通とNECの2種類しかなかったので困ったのですが、
この旧自工の役員さんの話も参考にして
私は自社開発でIBMのシステムで展開する方向に進んだのです。

もし、「C80」にIBMの機器が入っていたら、
きっと人生が違っていたかも知れません。

本当に「人生」って、ちょっとの差で変りますね。

■まとめ

・「雑談」から知った物凄いエピソード

・トヨタの3本柱は★販売:神谷正太郎★財務:石田退三★生産:大野耐一

・異質な文化が激突する時は、それぞれを分離して運営するのがよい

・分離のためには「人材」が必要である

・トヨタの強さは、ディーラーを直営化せずに、
 地元オーナー経営者を支援して経営意欲を高めた点にもある

・「人生は、ちょっとの差で大きく変る」

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